Quantcast
Channel: 多摩丘陵林住記
Viewing all 63 articles
Browse latest View live

ミャンマー旅行5

$
0
0

H24.2.27 :ミャンマー旅行5日目

今日は朝から一日自由行動の日です。朝食後すぐに二人でホテルを出発します。

まず、目指すはDhamma Joti vipassana centre. ここはゴエンカ師が創設したinternational vipassanar associationのヤンゴンの道場です。ゴエンカ師はヤンゴンの出身の人なので一度訪問したいと思っていた所です。

場所はカンドージ湖の北にある日本大使館の近くで、大使館の横の道を北に少し上がった所と見当を付けていたので、磁石と簡単な地図を頼りに歩き始めました。多分1時間くらいで到着すると思います。

Thamadaホテルの前の大きな道を北に向かいます。写真はThamadaホテルの隣のパークロイヤル・ホテル。道路は広く朝早くから車も沢山走っています。

車は日本製の中古車が殆どです。日本製の中古車は人気が高く同じクラスの韓国製の新車より値段が高いそうです。とくにトヨタ車を多く見かけました。バスも日本製の中古車が多いです。日本で使っていたそのままの姿で走っています。我が家の近くを走っている神奈中バスが沢山走っていました。

教会のような建物も見かけます。スーレー・パゴダの横にも教会がありました。仏教国ですが、信教の自由は保障されているみたいですね。

私たちは右側の歩道を歩きました。時々大きな穴ぼこがあり、注意して歩かないと危険。

目印と考えていたロータリーに到着です。これで半分くらいか。

ロータリーの反対側から一枚。綺麗に整備されたロータリーです。

日本大使館の横の道にDhamma Jotiの道標がありました。塀の奥の建物は日本大使館です。

この道標の反対側には大使館の別館がありました。

しばらくこのような道を歩きます。

次の分かれ道に又道標が出てきました。

比丘尼の人たちが托鉢に廻っています。女性は頭に荷物を載せている人が多いです。

比丘も沢山見かけます。はだしの比丘もいます。中央の人はロンジー姿です。

Dhamma Joti に到着しました。約40分のウオーキングでした。

門の中に入り、0ffice と書かれた事務所の中で数人の人としばらく話をしました。

事務所の中にはゴエンカ師の写真等が張られていました。

インド・ムンバイに建てられたヴィパッサナー・パゴダの写真もありました。

このパゴダは2009年2月にムンバイに建てられたもので、直径97mあり世界一の石造りのドームで柱が一本もないそうです。8000人以上が一度に瞑想出来るとのこと。インド大統領も参加して竣工式が行われたそうです。

事務所の奥の小高い所に小さなパゴダがありました。

センターの内部です。今日は10日間コースの9日目だそうです。ひっそりしています。

帰り口です。ALWAYS BE MINDFUL と書いてありました。

外に出ると、そこは道路脇に市場が連なっていました。

犬たちものんびり昼寝をしています。

日本大使館の場所まで戻ってきました。これから空港近くの日本人墓地に墓参しようと思いますが詳しい場所がはっきりしません。

日本大使館に立ち寄り場所を教えてもらうことにしました。大使館の掲示板です。

日本大使館は受付がマジックミラーになっていて場所を聞くだけなのにパスポートを出してくださいとか、カメラ、ビデオはロッカーに預けてくださいとか大そうな事を言われ面喰いましたが、それだけ警備が必要だということでしょう。

中に入ってしまうと、親切に対応してくれました。結局日本人墓地の住所をミャンマー語で紙に書いてくれてこれをタクシーの運転手に見せなさいということでした。

その後、私たちが戸惑っているのを見たミャンマー人の警護の人二人が、大使館の前の大通りまで出てくれてタクシーを停め、運転手さんと行き場所から、値段交渉,帰りの手配までミャンマー語で交渉してくれました。なんと親切な人たちでしょう。困っている人は助けるというミャンマーの人達の優しさでしょう。

ということでタクシーに乗り30分くらいで日本人墓地に到着しました。

入り口の門です。写真を撮るために閉めてもらいました。文字が少し変ですね。ミャンマーの人が書いたのでしょう。

中はミャンマーの人たちが綺麗に整備してくれています。頭が下がります。

祭壇に供えるために日本から線香とマッチを用意してきましたが、お世話をしているミャンマー人の人が火を付けた線香を私たちに手渡してくれました。記帳用のノートがありましたので二人で記帳しました。沢山の日本人の方が来ているようです。

この地で19万人の人が戦争で亡くなったことを考えると胸が痛みます。あの戦争は何であったのか。日本人はこのミャンマーまで来て何のために戦ったのか。どのような状況で亡くなって行かれたのか。ミャンマーの人たちはこの戦争をどのように考えているのか。

日本でも自虐史観だけを教えるのではなく世界の常識と言われる歴史の真実を後世に伝えて行くことを、マスコミ、教育界が本気で考えていかないといけないと思います。

日本人墓地を後にして、次はインヤー湖の北にあるカバエー・パヤーに待たせてあったタクシーで行きました。タクシー料金は日本大使館前で乗る時の約束は1時間6000チャットでした。カバエー・パヤーに着いた時は1時間半経過していましたが2000チャットのプレゼントを含めて14000チャット払いました。日本円で1400円くらいに相当します。安いですね。

1952年、世界の平和を願って建てられたパゴダです。ミャンマーは軍政の危険な国と考えれていますがこのパゴダに見られるように平和を願う仏教国なのですね。

カバエー・パヤー

パゴダの内部の仏像です。

外に出て少し北に歩くと1954年〜1956年、第6回の仏典結集が開催された建物群とMaha Pasana 洞窟がありました。 

ちなみに仏教における第1回仏典結集は仏滅後すぐにラージャガハの霊鷲山で 、第2回は入滅後100年にインド・パトナの北にあるヴェーサリーで、第3回は入滅後236年にパータリプッタ(現パトナ)で、第4回は北伝によれば西暦AC140年頃カシミールにおいて、南伝によれば西暦BC20年頃スリランカにおいて、第5回は1871年ミャンマー・マンダレーにおいてなされました。ミャンマーでは5回と6回の2回の結集が行われたことになります。

第6回結集の会議が行われたMaha Pasana 洞窟にある会議場。この洞窟は人造のもので第1回仏典結集の霊鷲山に似せて造られたもので、内部は長さ139m、幅113mもあります。 

会議場の内部

人造洞窟の側面。霊鷲山のごつごつした岩肌が良く現せています。

ここから更に北に少し行ったところに円形の建物があり、聞くと公立の仏教資料館ということです。玄関にこのような書き物がありました。

TO REFRAIN FROM ALL EVIL.

TO DO GOOD.

TO PURIFY THE MIND.

ADMONITION BY THE GREAT BENEFACTOR SAYADAW.

NEVER ACT,SPEAK OR THINK OF ANY THING THAT MAY HARM OTHERS.

DON'T USE HARSH WORDS.

KEEP YOUR MIND FILLED WITH LOVING-KINDNESS.

THINK GOOD THOUGHTS.  DO WHAT IS RIGHT. SPEAK THE TRUTH.

NOW IS THE OPPORTUNE MOMENT.

USE IT WELL UNTIL YOU REALIZE NIBBANA. 

上の4行は大乗仏教では七仏通戒の偈と言われるものですね。

諸悪莫作(悪いことはしない)

衆善奉行(善いことをする)

自浄其意(すると心は清らかになる)

是諸仏教(これが仏の教えです)

近くには学校の生徒が 歩いていました。学校に通う人は先生、生徒とも上が白、下が緑の服を着ているそうです。簡素で分かりやすくていいですね。

丁度、お昼時間になったので昼食を食べることにしました。近くに緑の樹木が沢山ありましたので木陰に入って座り込んで日本から持って行った梅干しの入ったおかゆを食べました。

その後、いったんホテルに帰ることにして、近くに列車の駅があるはずなので少し聞いたり、探したりしましたが結局わからないので大通りに出て、バスに乗ることにしました。

ガイドのローズさんの話ではヤンゴンのバスは路線図もなく利用するのが難しいので自分も使ったことがないとのことでしたが、やって来たバスの車掌さんにThamada ホテルの住所を見せて行くかと聞いていると、3台目のバスが行くという返事だったので飛び乗りました。

バスは超満員でしかも急発進、急停車の繰り返し、途中はものすごいスピードで走ります。時速50kmくらいか。日本のノロノロバスとはえらい違いです。列車がほとんど利用できないのでバスが市内の地下鉄の代わりをしているみたいです。

最初は様子が分からないので手荷物とポケットの貴重品に気を使いましたが危険なことはありませんでした。バスは運転手一人、車掌さんが二人の合計3人で運行していました。一人の車掌さんはバス停ごとにバスから降りて行き先を大きな声で叫んでいます。

もう一人の車掌さんは満員のバスの中にいて運賃の徴収を行っています。切符とかは何もないみたいです。満員のなかで一人ひとり200チャットずつ集めていました。どこまで乗っても200チャットみたいです。日本円で20円、安い!

払った人と、まだの人の区別はどうしているのか、分かりません。私たちは行き先を言っていたのでThamada ホテル前に着いた時はにっこり笑い、目で合図してくれました。ちなみにバスは神奈中バスの中古でした。

ホテルで少し休んだ後、まだ少し時間があるのでダウンタウンに出てみることにしました。

昨日も少し歩いたのですが、昼寝が長く十分見れなかったのでもう一度廻りました。

碁盤目に整備されたダウンタウンの町並み

スーレー・パゴダ近くの独立記念塔

          ヤンゴン市庁舎

             市庁舎の近くの教会

スーレー・パゴダ

スーレー・パゴダ入り口

ヤンゴンセントラル駅方面からスーレー・パゴダを見る。

ヤンゴンセントラル駅北側の風景。駅舎は立派ですが周囲は殺風景です。

これで今回のミャンマー旅行が終了です。

今回の短い旅行で感じたことは、ミャンマーの人たちが厳しい生活の状況にもかかわらず優しく親切で、困っている人はどこまでも助けてくれるような人たちだで、日本と日本人に好意を抱いてくれている人が多いということです。

日本はこのような人たちと今後も友好を深め、ミャンマーの国作りの援助を惜しんではならないと思いました。

ヤンゴン空港は丁度陽が落ちるところでした。

ヤンゴン空港発:19:10 ハノイ乗り継ぎで成田に帰りました。成田着,翌朝7:00

 

 

 

 

 

 

 


小山内裏公園のカタクリと野川公園の梅の花

$
0
0

ミャンマーから帰った後、今年は花粉症デビューをしたのか体調があまりよくありませんでしたが、やっと通常の状態に戻ったようです。

くしゃみと鼻水に苦しみながら撮った写真です。(ミャンマーから帰ってからカメラの時間を直していなかったので、写真右下の時間表示は2時間半遅れています。)

H24.3.28

小山内裏公園のカタクリ。まだ3分咲きというところでしょうか。

ここのカタクリは柵をつくって保護されているので年々、数が増えて綺麗になってきています。

H24.3.29

調布飛行場の北側で三鷹市にある都立野川公園に行きました。調布飛行場から飛び立ったプロペラ機が頭の上をすごい音を立てて北へ飛び立っていきました。どこに向かっているのでしょう。

朝、早かったので公園全体に人影はまばらでひっそりとしています。

小高い丘に梅の花が咲いていました。ここはほぼ満開に近い感じです。

少し歩いて奥の方にのどかな川の風景がありました。この川が野川です。イギリスのコッツオルズを想い出しました。すぐ右は自然観察園や、バードサンクチュアリーになっています。更にその右はハケといわれる崖になっていてその上に国際基督教大学があります。

近藤勇の生家もこの公園の近くにあります。

その後、近くにある、近藤勇の墓がある龍源寺を見て帰りました。

 

 

関東ふれあいの道 東京1番、湖のみち

$
0
0

H24.4.2

関東ふれあいの道東京都コースを歩くことにしました。今日はまず1番、湖のみちです。このコースは全長16.2kmで東京コースのなかでは2番目に長い道です。

高尾山口から国道20号線を南西の方向1.5kmほどに梅の平のバス停があります。ここが出発点です。この近くに車を停めて歩き出しました。

林道を少し行くと関東ふれあいの道の案内図が出ています。(写真の右下に出ている日時はミャンマーに行った時にセットしたままになっていて2時間半遅れになっています。)            

今日歩く道の全体が出ています。梅の木平→三沢峠→中沢山→大洞山→大垂水峠→城山→高尾山→高尾山口→梅の木平。                                                        

三沢峠に到着です。  (ここでデジカメの日時設定をミャンマー時間から日本時間に直しました)            

尾根道から津久井湖が見えます。                             

コンピラ山514.7m                                         

小仏城山に着きました。ここでおにぎりの昼食を食べました。晴れてはいますが、風があり少し寒い。登山客はまばらです。                                           

ここから高尾山に向かって歩きます。                

高尾山は何度も来ていますので今日は稲荷山コースを通って高尾山口に降りました。稲荷山から橋本、八王子方面の眺めです。晴れていると都心方面まで見えますが今日は少しもやっています。我が家はかすかに見えました。

高尾山口近くから見た、新しく開通した圏央道の高尾山ICです。

高尾山口から梅の木平らまで国道20号線を歩いて戻りました。途中まだ高尾山ICの工事をしている所があり、避けながら歩きました。

今日の歩数;約29900歩 歩行距離;17・7km

 

 

 

関東ふれあいの道 東京2番、鳥のみち

$
0
0

H24.4.5、H24.4.7

関東ふれあいの道 東京コースの2番鳥の道を歩きました。このコースは陣馬高原下バス停から高尾山口駅まで19.4kmあり結構な距離であることと、車でアクセスすると終点から始点まで戻る必要があり、大変なので2回に分けて歩くこととし、一回目は陣馬高原下バス停→景信山を往復、二回目は高尾山口駅→景信山を往復歩くことにしました。

H24.4.5  鳥のみちの1回目

道の陣馬高原下から歩き始めました。

陣馬山には帰りに寄ることにして、まず陣馬高原下バス停から林道をしばらく歩き底沢峠に向かいます。

しばらくあるくと右側にキャンプ場がありました。誰もいませんでしたがシーズンは賑わうのでしょうか。

ここから林道を外れて底沢峠に向けて山道に入ります。   

底沢峠に到着しました。                              

景信山に到着です。八王子城蹟のある北高尾山稜がよく見えます。

ここが認定用写真スポットです。                                 

景信山でおにぎりを食べて、その後陣馬山を目指して引き返します。途中の明王峠です。

陣馬山直前の急な階段です。                        

久しぶりの陣馬山頂上です。よく晴れていましたが、風が強く寒かった。

ここから和田峠に降りて、更に陣馬高原下バス停まで延々と車道を降ります。

降り切ったあたりに看板があり、なんと陣馬山まで車道ではなくてハイキングコースがあることが分かりました。

陣馬山山頂まで直接行くハイキングコースの標識。こちらの方が良かったな。

H24.4.7 鳥のみちの2回目

今日は小仏バス停から少し登り宝珠禅寺の少し先で車を停めて、前回の続きで景信山を目指します。

杉、ヒノキではない、昔ながらの気持ちの良い林の中を歩きます。新緑の時は綺麗でしょう。

景信山の頂上です。綺麗に富士山が見えました。

相模湖も見えます。                       

ここから右側の小仏城山を目指します。               

小仏城山に到着です。天狗の木彫りがありました。昔来た時はこれはなかったと思うが。

小仏城山からは日陰沢林道を通り日陰沢に向かいました。歩きやすい立派な林道です。

日陰沢林道を降り切った所。旧甲州街道に出ました。       

更に旧甲州街道を歩き、朝駐車をした小仏峠近くに向けて歩きます。梅の花が綺麗に咲いています。

小仏峠のバス停です。                       

これからもう少し旧甲州街道を登り、やっと始点の駐車場に戻ってきました。

これで関東ふれあいの道 東京コース2番の鳥のみちを2回往復したことになりました。

尚、このコースは携帯の電波が届いていないところが多く、携帯の電源を切っていたので歩数の計測ができませんでした。距離的には、19.4kmの2回分で40km近くを歩いたことになります。疲れた!

 

 

 

関東ふれあいの道 東京3番、富士見のみち

$
0
0

H24.4.8 ,H24.4.9

関東ふれあいの道 東京コースの3番 富士見のみちを歩きました。

このコースは陣馬高原下→和田峠→生藤山→浅間峠→上川乗で14・7kmあります。車で行くと駐車したところまで戻らないといけないので2回に分けることにして、1回目は和田峠から生藤山の先の三国山を往復、2回目は上川乗から三国山の往復としました。

1回目 H24.4.8

和田峠の駐車場近く。  

4月の中旬というのに今年は寒く、山道には霜柱が沢山出ていました。

杉、ヒノキの人工林ではなくすっかり葉を落とした灌木が芽吹きを待っています。

富士見のみちの名の通り富士山がよく見えます。

しばらく尾根道が続き、醍醐峠、醍醐丸、連行山、茅丸などを通り生藤山に到着しました。しかしここは混んでいたので認定用の写真だけをとり、その先の三国山まで行き、昼食を食べました。

今日の歩きはここまでとして和田峠に引き返しました。

2回目 H24.4.9

2回目は上川乗から浅間峠に登り、尾根伝いに昨日行った三国山まで行きます。

出発点の駐車場です。

浅間峠に到着しました。

峠はちょっとした広場になっていて東屋がありました。

しばらく歩くと熊倉山に到着です。

熊倉山と三国山の中間に日本武尊を祀る神社がありました。

昨日きた三国山に到着しました。ここは東京、神奈川、山梨の境界が集まっています。

昨日は日曜日で人がたくさんいてベンチも座るところがないくらいでしたが、今日はうって変って誰もいません。我々だけで山頂を独占しておにぎりを食べました。

ここから引き返して、駐車をした上川乗に戻りました。

これで関東ふれあいの道 東京コースの3番富士見のみちを2回歩いたことになりました。

 

関東ふれあいの道 東京4番、歴史のみち

$
0
0

 H24.4.12

関東ふれあいの道 東京コース 4番歴史のみちを歩きました。上川乗バス停の近くに車を停め歩き出しました。

バス停のすぐそばに登り口があります。

植林された林の中の静かな山道です。

しばらく登りを歩くと浅間嶺に到着しました。ここは認定証写真スポットです。ここで昼食です。

その後は緩やかな下りが続きます。殆ど人影はありません。この辺りは植林の林ではなく自然林です。

カタクリの観察路があり、道の近くにも咲いています。

しばらく歩くと自然の灌木林が終わり、杉、ヒノキの植林された林になります。

ニリンソウを見つけました。トリカブトと間違われることがあるとのこと。花を2輪つけるのが名前の由来だそうです。

人工林は戦後植林され60年くらい経っているそうです。杉とヒノキとサワラが植えられています。右が杉の葉で葉先が尖っていて触ると痛い。

左がヒノキまたはサワラの葉。ヒノキとサワラの葉は軟らく優しい感じで差は殆どないみたいです。

これらの木が花粉症の原因となっているのでしょうか

しばらく下ると水車のある一軒の風流な家が突然現れました。

玄関を見ると蕎麦屋さんをしているみたいです。こんなところお客さんは来るのでしょうか。本日は休みと書いてありましたが、多分土日は繁盛しているのでしょう。            

店の周りにはわさびが自生しています。              

クリンソウもありました。                 

更に少し下ると、甲州古道の茶店がありましたがやはり本日休業のようです。

この辺りは浅間尾根というそうです。

少し下ると、植林された杉、ヒノキ、サワラを大規模に伐採していました。まだ大きく成長していない物もまとめて切っているみたいです。まだ売り物にもならないような木材がどんどんなぎ倒されています。

戦後になって植林され、60年近くになり花粉症の原因を言われ、補助金を出して急いで伐採しているみたいです。はげ山のままというわけにはいかないので、花粉を出さない品種に変えていくということでしょうが、全国的な問題なので莫大な費用と時間がかかると思われます。

花粉症が日本の国民病みたいになっていて多くの人が花粉症に悩んでいるのを思うと、日本の林業関係の行政はもう少しこの植林事業の実態と将来対策を国民に説明すべきではないでしょうか。

ちなみに、沖縄では花粉症がないそうですが、杉、ヒノキがないからかな。

時坂峠を経て、払沢の滝入口バス停に着きました。バスの時間まで少しあるので払沢の滝まで行くことにしました。

途中に、昔懐かしい郵便局の建物がありました。今は使われていないみたいです。こんな山の中に郵便局があったとは思えないのですが。              

払沢の滝付近の忠助淵

払沢の滝。私たちが行った時は誰もいませんでした。

ここから払沢の滝入り口バス停まで戻り、数馬行きのバスに乗り、朝駐車した上川乗のバス停に戻りました。

バス代一人430円。

今日の歩き;18800歩、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大地沢周回コースを歩く

$
0
0

H24.11.16

先日町田市大地沢から高尾山まで一人で歩きましたが、その時には足を痛めていて家内が行けなかったので、今回再度二人で大地沢周辺を歩くことにしました。

前回と同じく大地沢青少年センターの第2駐車場から出発し草戸峠を目指します。

今回は山道入り口をちょっと変えてミニアスレティックの横から 登り始め草戸峠をめざします。

木漏れ日の中の良い道です。

少し登り、峠の丘から東京都庁とスカイツリーが見えました。

中央にかすかに見えています。

最近できた八王子駅南の高層マンションが近くに見えます。

草戸峠到着です。

 草戸峠からは高尾山の薬王院の建物が見えています。

少し先の草戸山で昼食を食べて大地沢方面に降り始めます。

大地沢青少年センターの近くまで降りてくるとロープを張った急傾斜の道がありました。登りはの時はきつそう。

青少年センターが見えてきました。

振り返ると、紅葉と山道が素晴らしい絵画のようでした。

それから境川の源流に再度行ってみました。前回行って源流を確認したつもりでしたが、そこよりもう少し先まで進むことが出来ました。

この奥が本当の源流のようです。水の流れがかすかに写真に写っています。

滑りそうで怖い丸太橋を渡って注意書きがある所まで行けます。

大地沢青少年センターまで戻って来ました。

ジャブジャブ池、中に入って遊べるそうです。

テントサイト

キャビン

ミニアスレティックの中の施設。

ブランコのようなスライダーのような、これは何という遊具かな。

町田市小山が丘の幼稚園から遊びに来ていました。

子供たちをつかまえて会話をしました。

子供たちが私たちを「じじー、ばばー」と呼ぶので頭にきて「じゃー君たちは赤ちゃんじゃないか」というと、

「赤ちゃんじゃないもーん!」

「では、何歳だよ」

「ごちゃい」

はっと我に戻りました。

大地沢青少年センターまでは幼稚園児はこのバスで無料で送迎をしてくれるそうです。

本日の歩数;11000歩

 

 

 

帯状疱疹の記録1

$
0
0

帯状疱疹の記録1

平成24年4月、普段は元気で病気は殆どしたことがなかったのですが、突然帯状疱疹という病気になり、否応なく病院通いを強いられる事になってしまいました。

それ以来、沢山の人に御心配をかけ、又お世話になりました。病気が完治とまでは言えませんがほぼ苦痛を感じる状態から脱した今、少し余裕を持って振り返ると、この帯状疱疹を患う人は意外と多いという事が感じられます。

私の身近な人でも沢山の人が帯状疱疹を経験し苦労されています。又、今後運悪くこの病気を患う人がおられるかと思います。

このような人の為に私の経験が少しでも参考にならないかと、私の今までの経緯を日記風に纏めてみました。

平成24年4月中旬

この頃からパソコンの前で長い時間座っていると背骨が痛みだし、じっとしていられなくなるというような背中の痛み、又は左胸の中の心臓の当たり、左腕の内側に痛みを感じ、倦怠感も強い。又、良く咳が出る。

医者に行こうかどうか迷う。自己診断では狭心症とか、心筋梗塞の前兆とか疑ったがインターネットを見ていると多分神経痛ではないかと思うようになる。

関東ふれあいの道東京のウオーキングで無理をして疲労が重なったせいかなと思ったりする。

平成24年4月21日(1日目)

近くの掛りつけのTクリニック(内科、外科)に行き診察を受ける。

狭心症、心筋梗塞がないか心電図を取る。血液検査のための採血もする。

胸、背中の目視、聴診、触診とかは何もなかった。

心電図の結果は異常がなかったが、測定時の脈搏が100/分あり医者は首をかしげる。

家に返ってもう一度脈搏を計ってみるように言われる。

心電図の結果、狭心症の可能性は少ないが念のためニトロの舌下錠を飲んでみて胸の痛みがなくなるか試してみることになる。家に帰って左胸や左腕に痛みを感じる時にニトロを飲んで見る。しかし痛みは変わらない事が確認されたので、狭心症、心筋梗塞の前兆ではない。

後は血液検査の結果で判断する模様である。

夜、風呂に入る時、裸になって鏡を見ると左肩上に赤いアザのようなものを一個見つける。ちょっと気になったが、そのまま風呂に入る。風呂からあがる時はその事はすっかり忘れていた。

夜中に背中、肩が痛み眠れない

平成24年4月22日(2日目)

左の胸、背中当たりに何となく痛み、痒みの異常感が強い。

夜、昨日と同じように風呂に入ろうとする時、左胸、左背中、左腋の下、左上肢に赤い発疹を多数見つける。

昨日は一個の発疹を発見しただけだったが、今日は全く量が違いびっくりする程の発疹である。今までにこのような事は私自身にも家族にも全くない。

インターネットで調べると帯状疱疹のような気がする。

夜痛みで眠れない。

平成24年4月23日(3日目)

病院に行きたかったが、あいにく新しく購入した冷蔵庫が配達される日なので行けない。

背中、胸の痛みが酷いので、家内が頭痛用として病院で出してもらっていたカロナールがあったのでもらって飲んでみる。あまり効果があったとは思えない。

インターネットで更に写真などを調べると帯状疱疹の発疹と非常によく似ている。痛み、痒みが益々強烈に感じられるようになる。ほぼ帯状疱疹に間違いないだろうと思う。

夜眠れないので、いつもは飲んだことのないセルシンを服用して寝る。

平成24年4月24日(4日目)

朝一番で近くのK皮膚科に入って診察を受ける。医者に今までの状況を説明し、非常に痛い旨を言う。診察した医者は、私の赤い発疹が体の左半分だけであること、帯状になっている事からやはり帯状疱疹であると診断する。

そして、医者は「症状が出て速く診察をしたので大事には至らないと思う。今はバルトレックスという帯状疱疹の特効薬があるのでそれを飲めば大丈夫だろう。もし、薬を飲んでも一週間して治らなければ、再度来てください。風呂に入ると悪いのでシャワーだけにしてください」等の説明をしてくれる。

最後に「特効薬のバルトレックスは高い薬です」と言われる。いくらぐらいですかと聞くと保険を使っても一錠1000円くらいすると答えられる。

本日、出された薬;バルトレックス500mg 1回1錠、1日3回、7日分

             鎮痛剤のロキソニン 1日3回 7日分 

             メチコバール(ビタミンB12)1日3回 7日分

             塗り薬(ゲンタシン軟膏+スタデルム軟膏)

薬局で薬を出してもらう。バルトレックスは医者が言うように高いとは思うが、一錠1000円とは程遠いものであった。

本日の支払K皮膚科;1010円、調剤薬局;3980円

家に帰ってから早速塗り薬を左胸、腋の下、左腕、左背中に塗る。発疹が水膨れとなり、一部破れて液が漏れ出ているところもあるので慎重にやさしく全面に伸ばして塗る。背中は手が届かないので家内に塗ってもらう。

痛みは益々酷くなる。皮膚がキリキリ、ヒリヒリ、と疼く。

この日以降、医者の処方通りの薬をのむ。ロキソニンは痛くてたまらない時に飲むが一日3錠までを守る。

インターネットで調べるとバルトレックス500mgは単純ヘルペスウイルスおよび水痘・帯状疱疹ウイルスの増殖を抑える薬であり、帯状疱疹の場合1回2錠、1日3回飲むと書いてある。

エッと驚く。私の場合、バルトレックスの規定量の半分しか出されていないのでは。

最初の処置が大事だと言われる病気なのに薬の量が半分で大丈夫なのかな。医者が間違ったのかな。それとも皮膚科の専門の医者なので私の年齢とか皮膚の状況を見て最良の判断をされたのかな。医者が薬の量を間違う事などありえないはずだしな、

しかし、薬の値段についてもおかしなことを言っていたな、大丈夫かなと疑心暗鬼になる。

夜痛みで寝付けない。

次回に続きます。


帯状疱疹の記録2

$
0
0

前回に続き帯状疱疹の記録の2回目です。

平成24年4月25日(5日目)

 昨日もらったバルトレックスの服用量が気になったので、薬を買った処方箋薬局に電話して聞いてみた。

薬局の薬剤師が出て、「このK皮膚科の先生は帯状疱疹の場合いつもバルトレックス500?を1回1錠、1日3回で出している」とのこと。「他のお医者さんはどうですか」と聞くと、「ほかのお医者さんは1回2錠、1日3回で出すのが普通です」との答え。オイオイどうなっているの。益々心配になる。

 この薬剤師さんに「私の処方箋を書いたK皮膚科の先生に帯状疱疹の場合1回1錠で良いのか確認してもらえませんか」と頼むと、最初は大分難色を示していたが最後には「お医者さんに確認して後ほど電話します」という事になった。

 薬剤師から電話が来る。「お医者さんに確認したら、“1回1錠で良いです。もし患者が希望するなら1回2錠でも出すから、直接患者を寄こしてください”という返事だった」とのこと。

 これは困った。私としてはどう判断するか。

 それでその薬剤師さんに「他の皮膚科医院はどこがありますか」と聞くと、N皮膚科の名前をあげ「評判の良い病院ですよ」という。

 大分迷ったが、そのN皮膚科に思い切って行き、いきさつを話し相談すると、「K皮膚科は理由は分からないが帯状疱疹の時バルトレックスを一回一錠、一日3回で出すのですよね。私は一回2錠、一日3回で出します」と即答する。

この付近の病院では皆知っている事実なのか!

 帯状疱疹は最初にウイルスを徹底的にやっつけるのが大事だということなので、後で後悔しないように結局一回2錠、一日3回を飲むこととしてK皮膚科での不足分をN皮膚科で出してもらう事にした。

 本日の支払。N皮膚科;1010円、調剤薬局;3470円(バルトレックス500mg21錠、ロキソニン、メチコバール、ノイロトロピン)

 後で考えると、本当はどうなのだろうかと思う。K皮膚科医師はむやみに必要以上の薬を出すことは患者の年齢から考えても腎臓等に負担になるし、経済的にも問題だという事で、皮膚科の専門医としての長い経験から必要最小限の量を出してくれたのかも知れない。

真実はどちらかと悩むがもう済んでしまった事なので仕方がない。一回2錠、一日3回を飲むこととする。

平成24年4月26日(6日目)

 塗り薬を一日3回、水泡を崩さないように慎重に家内に塗ってもらう。体中が薬でべとべとしてしまう。痛みは相変わらず酷い。ロキソニンを飲んで寝る。ロキソニンは効いているみたいで、飲んでから6時間くらいは痛みが和らぐ。

平成24年4月27日(7日目)

 痛みは酷いが、少しずつ外出するようにする。塗り薬が少なくなってきている。一日に一回にしようかと思う。風呂には相変わらず入らずにシャワーだけとする。

平成24年4月29日(9日目)

 朝から痛みが酷いのでロキソニンを飲む。気分が悪い。うつ状態。 

 ロキソニンを飲むと一時的に痛みが和らぐ。寝る前にも飲む。

 水泡の跡がかさぶたになって来ている所もある。

平成24年4月30日(10日目)

 気分が良くない。早くすっきりしたい。

平成24年4月31日(11日目)

 ロキソニンは6時間ほどしか効果がない。続けて飲むと体に余り良くないと思いとロキソニンの後はカロナールを一錠と交互に飲むようにする。

 大分かさぶたになって来ているが、自然にはがれるのを待つようにする。

平成24年5月2日(13日目)

 K皮膚科に行ってから一週間が経過。皮膚症状は少しずつではあるが目で見て良くなってきているように思う。痛みは相変わらず酷い。

 K皮膚科で再診を受ける。バルトレックスの量を増やしたことは報告しない。皮膚症状を見て

K医師「ほぼ順調のようだ、同じ塗り薬を出しておきましょう。風呂はまだシャワーだけにしておいてください。」

 私「痛みがまだ続いていますが、帯状疱疹後神経痛にはなりませんか」

K医師「大丈夫でしょう、念のために毎日注射をする方法もあるがまだよいでしょう」

何の注射かの説明は全然ない。

出来るだけ注射等の異物は体の中に入れたくないが帯状疱疹後神経痛にならないかの心配もある。

夕方カロナール、寝る前にロキソニンを飲む。

本日の支払。K皮膚科;570円、調剤薬局650円(塗り薬;ゲンタシン軟膏+スタルデム軟膏)

平成24年5月3日(14日目)

カロナールでは痛みは殆ど取れない。ロキソニンを飲むと80%の痛みはなくなる。ただし効果は6時間しか持たないようだ。一日一回としたいが。

インターネットで調べると、安静が大事で無理をして体力を使ってはいけないと書いてあったので一日中家にいて静養する。

平成24年5月4日(15日目)

ロキソニンを飲んで寝る。

平成24年5月5日(16日目)

かさぶたが急に取れて大分皮膚状況が良くなる。痛みは相変わらず。

ロキソニンを飲んで寝る。

平成24年5月6日(17日目)

御前2時過ぎに痒みで起きてしまって、その後寝られない。ラジオ深夜便を少しベッドで聞くが結局2時半くらいには起きてパソコンで帯状疱疹、痒みで検索して調べたりして朝まで時間をつぶす。

帯状疱疹の痛みが痒みに変わってきている。痛みもあるが痒みの方がまだ楽である。これは治りつつあるという事であろうか。

次回に続きます。

帯状疱疹の記録3

$
0
0

前回に続き帯状疱疹の記録の3回目です。

平成24年5月10日(21日目)

K皮膚科に再々診で行く。

私;「かさぶたも大分取れています。痛みより痒みが強いです」

K医師;「順調です。痒みは痛みの一種で、痛みの程度の低いものと考えて良いでしょう。風呂は短時間(5分くらい)なら入っても良いでしょう。」

私;「帯状疱疹後神経痛になるのが心配ですが」

K医師;「帯状疱疹後神経痛になる事はないが、年齢もあるので毎日注射をする事も出来る」

私;「前からクレアチニンの数値が少し高いと言われていていますが、その注射は大丈夫でしょうか」

K医師;「腎臓とは関係のない注射なので問題ないが、そういうなら止めておきましょう。同じ軟膏とロキソニン、メチコバールを出しておきます」

どういう薬の注射か、いつまで注射を打つのか等の説明は一切なし。ひょっとして注射と言っているのは神経ブロックの事かなと気になる。

私;「痛みが酷い時、ロキソニンを何回も飲んで副作用はありませんか」

K医師;「副作用のない薬はありません。薬のデメリットと効果を考えて効果の方が大きければ薬を飲むことは良い事です。痛い時だけ飲んでください。」

この時私が本当に聞きたかった事は、痛みが酷い時、ロキソニンは飲むのだが我慢できるのであれば飲まない方が良いのか、それとも我慢していると帯状疱疹後神経痛になる可能性が高まってしまうので、我慢せずに飲んだ方が良いのかという事であったがうまく伝える事が出来なかった。

平成24年5月15日(26日目)

4月20日に最初に診察を受けたTクリニックに行く。4月20日採血の血液検査の結果は異状なしとのこと。私の方から、前回の診察後皮膚科で帯状疱疹と診断された旨を伝える。

今は痒みが酷い事を伝えると、私の帯状疱疹の状態を診察して、「ちょっと試してみましょう」という事でレスタミンコーワの軟膏を出してくれる。

帯状疱疹後神経痛の為に神経ブロック注射をした方が良いか聞くが、T医師はそこまでは不要だろうと言われる。

家に帰ってレスタミンコーワを塗るが効果は全くなし。

平成24年5月16日(27日目)

 痛み、痒みが酷い。インターネットで帯状疱疹後神経痛の情報を調べる。

出来るだけ早く神経ブロック等の対処をするのが大事だという事を知る。

症状が出て1月ほどになるのでもうギリギリのような気がしてくる。

読売新聞社から出ている「病院の実力」という本で、自宅から通えて神経ブロック治療の実績も多い新宿のFクリニックを見つける。

平成24年5月17日(28日目)

 朝一番で、Fクリニックに電話して予約を申し込むと今日の12時に来てくださいとのこと。割と簡単に予約が取れて良かった。

 早速、電車で新宿に向かう。電車の中は混んでいて座れない。立っているのがつらい。

 途中から座れるが、座っていても痛みが酷い。発作的に左背中、左腋の下、左胸に錐で刺したような痛みが走る。その都度、顔おしかめるので一緒に来てくれた家内が心配する。

 11時ころFクリニックに到着。待合室には誰もいない。受け付けを済ませると、かなり詳細に今までの状況、現在服用している薬等を所定の用紙に記入させられる。それを窓口に提出後しばらく座って待つ。

 12時過ぎに診察室からF医師が出てきて「お待たせしました、今から、急いで昼食を済ませて来るからちょっとだけ待ってください」と笑顔で愛想よく言ってくれる。そう言いながらも話しが始まり、既に先ほど記入した情報を読んでおられるようで

 F医師;「帯状疱疹にはいい薬があります。リリカという最近出来た薬です。これはよく効きますよ。」

 私;「私はクレアチニンが少し高いと言われているのですがその薬は大丈夫ですか。それと私はACE阻害薬という血圧の薬を飲んでいるのですが問題ありませんか」

 F医師;「あっつ。その事はさっき記入してもらった用紙に書いてありましたね。確かにそうなんですよね。では何をしてもらいたくてここに来ましたか」

 私;「病院の実力という本を見て、帯状疱疹後神経痛にならないように神経ブロックが良いのではないかと思ってここに来ました。」

 F医師;「ああそうなんですか。神経ブロック注射は帯状疱疹後神経痛には効きません。それに神経ブロック注射は危険性もあるのでここではやっていません。ここでやっているのはレーザーを使った神経ブロックとか、ここで調剤した10%リドカインクリームなどです。 いずれにしても急いで食事をしてくるのでもう少し待ってください。」

 という事で30分くらい待たされて、初めて診察室に呼ばれる。

 正式な診察が始まるが、話だけが進行し帯状疱疹の症状の診察はない。待合室での話の調子とは違い何となく機嫌の悪そうな話し方である。話の内容はほぼ待合室での話と同じようなものであった。

私;「読売新聞の記事に帯状疱疹後の痒みに東大のS先生のクロニジンクリームが効くというのが出ていましたがどうなんでしょうか」

F医師「ああ、あの先生ね。ここにはそのクリームはありません。あの先生は“おたく”ですからね。私は誰がどこで何をやっているのか全部知っているのですから。私は○○○○医大ですけどね」

別にF医師がどこの学校を出ているか関係ないのだが。いずれにしてもここでは神経ブロック注射はしていないので、神経ブロック注射を求めているのなら他を当たってくれということのようである。

 私;「ちょっと聞きたいのですが……….」

  F医師;「質問はもう一問だけ」

 私;「帯状疱疹の痛みは我慢できれば我慢しても良いのでしょうか。それとも積極的に薬を飲むなり注射をしたりした方が良いのか、又はしないといけないのでしょうか」

 F医師;「それは、治療しなければ大変な事になります。ハイ終わり」

 その後看護師さんに案内されて処置室に行く。看護師さんが私をベッドに寝かせる。そこで私にどういう処置をするのか一切説明がない。多分レーザーを使った神経ブロックであろうと思う。

その時、さっとF医師が現れ、「ああ、場所を確認していなかった」と言いながら初めて私の胸、背中、腕の帯状疱疹の状態を見る。疱疹の出ている場所の鎖骨、肋骨の本数を数えて、「жёдпгц...神経ブロックで良いな」とか理解できない独り言を言っている。詳しい説明はなく、そのまま診察室に帰ってしまう。レーザーと思われるものを照射され、その後帯状疱疹の所に何やら薬を沢山塗って温める事もやった。多分10%リドカインクリームを塗ったのだと思う。

 何か分けのわからないうちに処置が終わって、次回の予約もなくこの日は終了となる。

 支払の窓口では、診療明細書と領収書が渡された。診療明細書には肩甲上神経ブロックと書かれている。多分これは注射ではなくレーザーを使った神経ブロックであろう。領収書は健康保険適用分と適用外の2枚に分かれていて、よく見ると、健康保険適用外は10%リドカインクリームの料金である。F医師は、このクリームは院内調薬剤とか言ってはいたが健康保険適用外との説明はなかったように思う。

 結局、次回の予約があるわけでもなく、わけのわからない一日となった。

後から考えてみると、F医師との話の中でどこかの時点でF医師が気分を悪くしてしまったのであろうと思う。多分それはリリカの件でACE阻害薬のことを私が話したからではないか、その為にF医師はプライドを傷つけられたと思ったのかもしれない。それと、東大のS先生のクロニジンクリームの話しも悪かったかも知れない。私としては何とか痛み・痒みの苦しみから逃れたいと必死で、しかし丁寧に質問をしていたつもりであるが。

付き添いで一緒に行ってくれた家内に「私の言い方で何か問題があったかな」と聞くと「そんなことは一切なかったよ」と言ってくれるのだが。

Fクリニックを出た後あいかわらず痛み、痒みは酷く、何も変わっていない。家に帰ってしばらく継続して10%リドカインクリームを塗るが効果は感じられない。

 本日の支払。Fクリニック;保険適用(3割負担)1400円、保険適用外500円

次回に続きます。

帯状疱疹の記録4

$
0
0

前回に続き帯状疱疹の記録の4回目です。

平成24年5月18日(29日目)

 新宿のFクリニックで受けた治療の後も痛みは全く変わらない。酷い痛みの時は我慢できずに昨日もらった10%リドカインクリームを塗るが、かぶれるのか返って痒みが酷くなる。次男が心配して都内の有名なペインクリニックのリストをメールしてくれる。その中に国立のKクリニックが入っていて、ここなら通うのに問題ないし、評判も良いので明日にでも予約を申し込もうと思う。

平成24年5月19日(30日目)

 朝、国立のKクリニックに電話すると今日16時に来てくれとのこと。素早い予約が出来てほっとする。

 JRを乗り継いで国立に行く。電車の中でも痛みが酷い。

 待合室には7,8名の人が待っている。受付をするとスタッフが今までの経緯を記入する用紙をくれる。今までの経緯、服用している薬、等を出来るだけ詳しく書き込む。その後、診察を待っている間にK医師の著書(21世紀のペインクリニック)を渡され、この本の中の帯状疱疹と神経ブロックの記載のある部分を診察室から呼ばれるまでに読んでおくように言われる。ページ数で30ページくらいの部分。

 その後、呼ばれて診察室に入ると、K医師の前のパソコンには先ほど私が記入したこれまでの経緯など情報が映し出されていてそれを見ながらの質問があった。

 K医師;「今まで沢山の病院を廻っていますがどうしてですか」

 私;「帯状疱疹後神経痛になるのが心配で、出来るだけ早く神経ブロックを行ってもらいたいと、神経ブロックが可能な先生を探していました。」

 K医師;「なるほど。帯状疱疹の場合、神経ブロック注射を初期の段階で行えば非常に良く効果を発揮します。しかし始めるのが遅くなると、効果が出ない場合もあります。あなたの場合は発病後もうすぐ1月経ちますので、残念ながら少しここにたどり着くのが遅すぎましたね。でもまだ効果の出る可能性は十分ありますから、今日から神経ブロック注射を行いましょう。発疹の位置を見せてください。……この位置なら肋間神経ブロックですね。隣の処置室に行ってください」

 処置室にはベッドが8台ほどあり、ほぼ患者で埋っている。これから注射を受ける人と、注射が終わって安静にしている人と半々のような感じ。

 10分ほどベッドの上で待たされて私の番になる。うつ伏せになって痛みのある左肩をベッドの端に寄せ、両腕をベッドの端からぶら下げるようにする。左肩の肩甲骨の当たりを消毒後、注射を2回続けて打たれる。チクリとする感じはするが余り痛くはない。

 私は、私の帯状疱疹の位置、状況から星状神経節ブロック注射をするものと思っていたが肋間神経ブロックという事でちょっとびっくりする。しかし、ペインクリニックの専門の先生がするのだから間違いなかろうと思って信頼してお任せする事にする。何回か肋間神経ブロック注射をした後、星状節神経節ブロックに変わるのかも知れない。このあたりの説明はK医師からは一切ないし、こちらからも質問はしなかった。

 注射が終わり、15分ほどベッドの上で安静にしたら、看護師さんが「終わりました、次回は来週ですが何時が良いですか」と看護師さんが聞くので、出来るだけ早くしてもらいたいので来週の火曜日という事にする。

 窓口で料金を支払う。Kクリニック1100円、調剤薬局0円

 非常に安い料金なのでびっくりする。

 注射を打った後、電車で帰るが、帰る途中も痛みが期待したようには減らない。気のせいか少し和らいでいるようにも思えるが神経ブロック注射が劇的に聞いているとは到底思えない。

平成24年5月20日(31日目)

 ブロック注射の顕著な効果は感じられないが、以前よりは少しは良くなったかなと思う事もある。ロキソニンを朝食と夕食後に飲む。

 昨日K医師に下着が肌に当たると痒いと訴えると、「そういう人が沢山います。軽く当たると痒みが強いので逆に強く当たるように押さえると軽減する人もいます」と言われたので、胸に手を強く押しつけるようにしてみると、その時だけではあるが、痒みが少し和らいだ感じがする。

平成24年5月21日(32日目)

 一日中痛む。ロキソニンを飲む。

平成24年5月22日(33日目)

 Kクリニックに行く。2回目の神経ブロック注射をする。

 朝9時ちょっと前にKクリニックに到着し待合室で待っていると丁度9時に処置室に呼ばれベッドに横になる。今日は先生による問診とか診察とかはなく、すぐにブロック注射が打たれるらしい。ベッドの横にいつの間にかKA医師がいて、

「○○さんお待たせしました。○○さんは神経ブロック注射を始めたのが遅かったのでなかなか効果は出ていないと思いますが、その後どうですか?気分が悪かったり、変わったことはありませんか?」と聞く。

 私「気分が悪かったりすることはありませんが、痛み、痒みは変化しません」

 K医師「この注射は直ぐには効果が出ません。ジワーと効いてくるという感じなので今の時期はそれで良いのです」

 話しをながら、一回目と同じように肋間神経ブロック注射をする。

 今後毎週一回、肋間神経ブロック注射をするとの説明がある。

 以前に、K皮膚科、N皮膚科でもらっていたロキソニンの手持ちがなくなったので、「新たに出してください」と依頼するとK医師は「帯状疱疹のこの時期になるとロキソニンは効果がないはずです。もし効果を感じているのなら、それは気のせいにすぎないと思います。ロキソニンは副作用も比較的強いので飲まない方が良いでしょう」と言われ出してくれない。

嫌がる患者を説得して山のような薬をだす医者が多い中、何という良心的な医師であろうかと感心する。

 神経ブロックの注射は今回も背中に肋間神経ブロックを行った。星状神経節ブロックでないのが気になるが、質問することも憚られるので止めた。

 本日の支払 Kクリニック500円。薬も出なかったので、500円のみ。何と安い事なのだろう。これなら電車賃の方がよっぽど高くついている。これで、このクリニックはやっていけるのだろうか。

次回に続きます。

 

帯状疱疹の記録5

$
0
0

前回に続き帯状疱疹の記録の5回目です。

平成24年5月23日(34日目)

 痛みは殆ど変化なし。夜痛み、痒みで眠れない。下着が当たると酷くなるので下着が肌に当たらないように、下着に針金を通して持ち上げ、患部に下着の生地が当たらないように工夫する。少し効果があるような時もあるがすぐに針金が変形したり、移動したりしてうまいように行かない。

 痛みが酷く眠れないときは、風呂に入って十分温まると大分治まる。しかし1時間もたつと元に戻ってしまい眠れない。どういう理由かはっきりしないが、ベッドで眠れない時風呂に入った後、居間の電気こたつに肩までもぐり込んで横になっているといつの間にか眠ってしまうという事もある。多分温めておくと痛みが和らぐという事か。

平成24年5月29日(40日目)

 3回目のブロック注射をしにKクリニックに行く。行き、帰りの電車がつらい。

 K医師に風呂のことを聞くと、「風呂は交感神経を鎮めるので効果があるが、余り頻繁に入ると心臓に負担がかかる」と言われる。

 本日の支払も500円のみ。このままこの金額でずーと行くのだろうか。

 痛み、痒みは神経ブロック注射後も殆ど変化なし。

 今日は6回風呂に入る。

平成24年5月30日(41日目)

 下着の胸あたりに電線を通して下着が肌に当たらないよう持ち上げたりするが効果はあまり出ない。又、下着の患部に当たる部分を挟みで切り取って皮膚と密着しないようにして様子を見るが、なかなかうまくいかない。このような事をして、古い下着数枚を駄目にしてしまう。

 寝る時に左を下にして寝ると痛みが和らぐことに気がつく。痛みのある所を適当な力で抑えると痛み、痒みが少なくなるという事であろう。結局、今は患部に何かがフワーと柔らかく当たるのが一番痛み痒みを強めているという感じがする。

 バスタオルの大きいのを丸めて左腕に抱え、それから左腕を下にして寝ると、腋の下に体重が架かり痛み・痒みが和らぐ事も発見する。これをしばらく続けてみる。

 患部の皮膚状況は、水泡は解消し、かさぶたも殆どなくなってきている。しかし、かさぶたの後が変色して何とも痛々しい。

平成24年6月1日(43日目)

 痛み、痒みは少しずつ減って来ているように感じることもあるが、すぐに又強烈なものに戻ってしまう。ひょっとして痛みに慣れてきたのかもしれない。

平成24年6月3日(45日目) 

 天気が良かったので車で出かけてみる。公園の駐車場に車を停めて、車の後部荷台で足を伸ばし横になって本を読んでいると、車内がポカポカして何とも気持ちが良い。ふと帯状疱疹の痛みが和らいでいるのに気がつく。暖かくしてリラックスしていると良いように思える。

平成24年6月5日(47日目)

 4回目の神経ブロック注射に国立のKクリニックに行く。

前回と同じく診察室での問診はなく、直接処置室に呼ばれる。処置室のベッド上で注射をしてもらいながら医師と話をする。K医師「治療を始めたばかりで変化はないと思うがどうですか」

私「良くなったり悪くなったりです。今までとは違う痛みも出て来ました」

K医師「帯状疱疹はいろんな痛みが出てきて、何でも有りです」

これで終わり。

一週間に一回の注射だけで、しかも効果が定かでないので不安になる。塗り薬とか飲み薬とか併用はないのだろうか。星状神経節ブロックはどうなんだろうか。時間だけが無駄に過ぎて行く気がして、手遅れにならないか心配になってくる。

平成24年6月6日(48日目)

 夜一時に痛みで起こされて、その後は眠れない。風呂に入ってみるがやはり眠れない。

 私が帯状疱疹で苦労していることを人づてに聞いた薬剤師の従姉が手紙をくれて、帯状疱疹の中医薬(漢方)を紹介してくれた。

 内容を簡単に書くと、

疱疹がある時;開気丸、一回5粒、一日3回

       竜胆写肝湯、一回一包、一日3回

疱疹が消えて痛みのみ残る時;開気丸、一回5粒、一日3回 

              田七人参、一回2包、一日3回

再発予防には;シベリア霊芝、一回一包、一日3回

これらは中医薬のパンダの人形が置いてある店で求められるとのことでした。

今後の様子を見て、これらの薬も検討するかもしれません。

平成24年6月9日(51日目)

 風呂に入ると痛みが和らぐので、一日5.6回入る。あまり入ると心臓に悪いらしいが仕方がない。

平成24年6月11日(53日目)

 調子が少し良いように思えるので久しぶりに長男家族と一緒に外で食事をして、その後家に来てしばらく談笑する。その後異常に疲れを感じる。

平成24年6月12日(54日目)

 5回目の肋間神経ブロック注射に行く。

 注射の前に処置室のベッドで準備をしていると、看護師さんが「調子はどうですか」と聞く。

 看護師さんなので少し気楽に話が出来る。

私「以前とあまり変わらず痛み、痒みが酷くて眠れないです。このままで良くなっていくのか心配です。帯状疱疹後神経痛になってしまったのでしょうか」

看護師「帯状疱疹は少しずつ良くなるもので、一年くらいまでは治っていく可能性があるようです」

このような内容を看護師さんがK医師に伝えてくれたみたいで、いつもの肋間神経ブロック注射の処置の最中に、「注射が聞いていないみたいですね。薬も併用してみますので注射が終わったら待合室で待ってください」と言われる。

15分くらい待つと診察室に呼ばれK医師から話がある。

K医師「今頃こんなことを言うのは何なんですが、○○さんはブロック注射を始めるのが少し遅すぎたので注射が効いていないみたいですね。今日から薬を併用してみましょう。この薬は一日一回少量から始めます。気分が悪くなったり、その他何らかの異常が出たら教えてください。様子を見ながら薬の量を増やしていきます」

という事で、今日から薬を飲むことになる。処方箋を見るとパキシル10mgを一日夕食後0.5錠と書いてある。

今日の支払;Kクリニック710円  調剤薬局530円〔パキシル5mg 10日分〕

家に帰ってパキシルを調べてみると、SSRIといわれる精神薬らしい。こんな薬を長期間飲んで大丈夫なのかと思うが仕方がない。

薬のせいか不整脈が多く出る。

次回に続きます。

 

帯状疱疹の記録6

$
0
0

前回に続き帯状疱疹の記録の6回目です。

平成24年6月13日(55日目)

パキシルを飲むがあまり良くなった感じはしない。朝散歩しようと外に出るが歩くと疲れて途中でひきかえす。

平成24年6月19日(61日目)

6回目の神経ブロック注射を受ける。

いつものようにブロック注射を受けながらK医師と少しばかり会話する。

K医師「薬を飲み始めてどうですか。体調の異常、便秘とか変わったことはありませんか」

私「特に変わったことはありません。痛み・痒みも変わりません」

K医師「今回は少量で様子を見ましたので、まだ効果は出ません。副作用がないみたいなので、今日から一日10mgに増やして飲むようにします。しかしジワーと効いてくる薬なので急には効果が現れません」

私としてはあまり薬を続けて飲みたくないのが本音なので、これは大変なことになった、これから長期間薬を飲むことになるのかとちょっと落胆する。

という事で今日からパキシル10mg一日夕食後一錠となる。

平成24年6月20日(62日目)

パキシル一錠を初めて飲み始める。痛み痒みが少しは和らいでいる感じがする。

平成24年6月26日(68日目)

7回目の神経ブロック注射をする。薬はパキシル1錠継続になる。

パキシルを飲むと脈が速くなる傾向がある。以前は60程度であったが、今はいつも80回/分程度になっている。

平成24年6月30日(72日目)

久しぶりに12000歩歩く。疲れる。薬のせいか倦怠感が強い。

痛み対策としての入浴の回数が減る。一日1〜2回程度になる。痛みが少し改善されてきている実感がある。パキシルが効いているのか、気温が高くなって来ているせいかは分からない。

平成24年7月1日(73日目)

パキシルのせいだと思うが手の震えが大きくなっている。血圧も高め。

帯状疱疹の痛み、痒みが減っている感じはする。このまま回復してくれればよいが。

平成24年7月3日(75日目)

8回目の神経ブロック注射を受ける。パキシル10mgは継続。

平成24年7月10日(82日目)

9回目のブロック注射に行く。パキシル10mgは継続。

国立まで余り苦痛なく電車で行けるようになって来ている。

平成24年7月18日(90日目)

10回目のブロック注射に行く。注射のせいか調子が良い。

4週間分のパキシル10mgが出される。

気温が上がって来て家の中では上半身裸で過ごすことが多くなった。裸でいると帯状疱疹と接触するものがないので調子が良い。殆ど痛みを感じない時もあるようになる。しかし下着を着ると又痛み・痒みを感じる。下着の縫い目が胸、背中に当たると痛むので、下着を裏返しにして滑らかな面が肌に当たるようにして着ると少しは良いようだ。

平成24年7月19日(91日目)

暑いので帯状疱疹の痛み痒みが和らいでいる。7300歩

平成24年7月21日(93日目)

帯状疱疹発病後中止していた朝の読経と天風体操を久しぶりに行う。以前と同じように出来て少し自信が増す。確実に改善してきている。

平成24年7月24日(96日目)

11回目の神経ブロック注射に行く。「症状は良くなって来ているが、寒いと痛む」と言うと、「それは神経のダメージが長引いている証拠だ」と言われがっかりする。

依然として肋間神経ブロックである。星状神経節ブロックは適応ではないのだろうかと思うが質問するのは憚られる。

平成24年7月31日(103日目)

12回目のブロック注射に行く。8700歩歩く。

体に残った帯状疱疹の傷痕もだんだん薄くなって来ているのが分かる。しかし、まだまだ茶色く変色している所が多く完治までは程遠い感じである。

平成24年8月7日(110日目)

13回目の神経ブロック注射。

注射中にK医師に「どうですか」と聞かれたので「お陰さまで大分良くなったように思います。最初が10だとすると今は5位だと思います」と言うと「えつ!5くらいが残っているという事ですか。それは望外な効果が出ていますね」と驚かれる。その言葉にこちらも驚く。言葉のニューアンスから言うとまだまだ時間がかかるという事だと感じた。

それでも最後に「次回からは2週間おきの通院としましょう」の言葉に確実に改善されている事を実感する。パキシル10mgが4週間分出る。10700歩歩く。

平成24年8月21日(124日目)

14回目の肋間神経ブロック注射。汗をかいたせいか注射の後の絆創膏が家に帰るとはがれている。

痛み・痒みは薬のせいか大分改善されている。

平成24年9月2日(136日目)

風を引いたようですごい咳と痰が出る。しんどい。一日中寝て過ごす。

平成24年9月3日(137日目)

痰が酷い。体調が悪く、しんどい。

平成24年9月4日(138日目)

国立のKクリニックに行く。15回目の肋間神経ブロック注射。

風邪をひいているのか、薬の副作用かどうかわからないが、倦怠感が酷く、汗が多く出て、口の渇き、手の震え、脈が速い等を言い、薬はいつまで飲む必要があるかを聞く。

K医師「まだしばらくは薬を止められない。今の薬で副作用が強いのであれば、副作用が少ないタイプの薬が出たのでそちらに変えてみよう」と言われる。

処方箋を見るとパキシルCR12.5mgという事が分かる。家に帰って調べてみるとパキシルCR12.5mgはパキシル10mgと成分は同じであるが表面にコーティングして徐放性を持たせた新薬とのことである。説明書きには徐放性は書いてあるが、副作用が少ないとは書いてないので??という感じである。

次回に続きます。

帯状疱疹の記録7

$
0
0

前回に続き帯状疱疹の記録の7回目です。

平成24年9月8日(142日目)

パキシルCR12.5mgを毎日飲む。

まだ風邪が完全に良くなっていない。

平成24年9月11日(145日目)

夜、左足が痛風発作と思われる状態になる。左足の親指の付根が赤くはれて激痛がする。そのうちに赤い腫れの範囲が広がり左足の甲全体が腫れあがる。私は40代の頃より尿酸値が7位あり医者に高いと言われ、薬も飲んでいたこともある。この10数年は薬も止め、それでも尿酸値は7台で維持していた。

このような痛風のような症状は初めてのことである。手持ちの鎮痛剤イブプロフェンがあったので2錠飲む。

その後寝る前にバッファリンを2錠飲んで寝る。それでも痛みがひどい。

平成24年9月13日(147日目)

朝は痛みが少し減る。それでもまともに歩けないので登山のストックを使って支えながらやっと歩く。

平成24年9月14日(148日目)

痛みは大分減るが赤い腫れはまだ残っている。 

平成24年9月15日(149日目)

腫れも少しは引いていると思われる。ストックなしでも注意すれば歩ける。

平成24年9月16日(150日目)

左足はだいぶ良くなっているが歩くと少しまだ痛い。腫れも残っている。

結局、医者には行かずに鎮痛薬で痛みに耐える。この症状が本当に痛風の症状なのか迷っている。

実は、左足の親指が痛みだす前、数日間、この左足親指と人差し指を交互に擦り合わせる運動を熱心に何回も続けていたのである。このせいで親指の関節を痛めたのではと思ったりもして医者の診断を受けることに抵抗を感じる。

平成24年9月19日(153日目)

Kクリニックに行く。左足はまだ痛いが国立までやっとの思いで行く。16回目の肋間神経ブロックの注射をする。パキシルCRを2週間飲んだが頻脈、手の震え、多汗、口渇が返って増えたことを言うと、K医師「それでは薬を減らしていきましょう。副作用があるのに飲み続ける薬でもないので」と言われる。

パキシルCR12.5mgからパキシル5mgに変えることになる。そして次回から神経ブロック注射は3週間おきということになる。この処置は帯状疱疹後神経痛が治って来ていると解釈できるのか、それともパキシルを徐々に減らしていき、その後で他の薬に変えていくのか説明がないのでわからない。いずれにしてもパキシルは徐々に減らして様子を見るという事らしい。

K医師に痛風の発作と思われる事について聞くと、痛風発作と神経ブロック注射やパキシルは関係ないと言われる。

パキシル5mg3週間分の処方箋がでたので調剤薬局で受け取る。

平成24年9月20日(154日目)

パキシル10mgが1週間分残っているのでこれを無駄にするのももったいないので、これを飲んだ後昨日買ったパキシル5mgに変えることにする。

平成24年9月25日(159日目)

 今日からパキシル5mgに変更する。

平成24年9月28日(162日目)

・帯状疱疹発病後しばらく行けていなかった墓参りに静岡へ行く。久しぶりに車の運転を長距離(片道90km)する。以前と同じように運転することが出来て少し自信が出る。少しずつではあるが確実に回復しているようである。

平成24年10月3日(167日目)

日常の生活では痛み・痒みを感じていない時間が多くなる。何かに夢中になっている時は殆ど忘れていてふと、“あっ今痛みがない”と思う事が多くなった。特に、歩いていたり、何か運動をしている時は痛みがない時が多い。しかし朝の寒い時、じっとしている時などはまだ少し痛み、ないし違和感がある。これも最初の痛みに比べれば20%くらいの痛みか。

平成24年10月10日(174日目)

国立のペインクリニックに行き17回目の神経ブロック注射をする。K医師から「パキシル5mgに変えて悪化していないかと」聞かれる。微妙であるが、待合で待っている間は殆ど異常がなかったので「悪化していない」と答えてしまう。今回ものパキシル5mgを3週間出される。

この時期の肋間神経ブロック注射は何のためにしているのか良く解らなくなるが、念のためという事だと思う。

平成24年10月14日(178目)

・大分調子が良くなってきたので、前々から行こうと思っていた東北に震災支援を兼ねて車で出かける。3泊4日。 

 帯状疱疹発病半年でようやくちょっとした宿泊旅行ができるようになった。

平成24年10月31日(195日目)

国立のKクリニックに18回目の神経ブロックに行く。今回でパキシルは終了となる。

今日の夕飯後はパキシル飲まず。約半年ぶりに薬なしの日常に戻る。

平成24年11月1日(196日目)

気のせいかパキシルを飲まないと帯状疱疹が又痛みだしたような気がするので、残っているパキシル5mgを割って2.5mgにし、しばらく飲むことにする。気休めとは思うが。

平成24年11月9日(204日目)

パキシル5mgの最後の半錠2.5mgを飲む。以後薬は完全に0となる。

平成24年11月20日(215日目)

19回目の神経ブロック注射の為Kクリニックに行く。

K医師には「普段は歩いている時、運動している時等は痛み、痒みは殆どなく、忘れていることが多いが、寒い時じっとしているとまだ痛み、痒みがあることに気が付きます」と伝える。私自信はひょっとすると今回が最後の注射かなと思っていたが、K医師は「次回12月17日に卒業という事にしましょう」という事だった。

帯状疱疹の体の傷痕は日に日に薄くなっていくのが分かる。まだ完全ではないが、もう少しで元に戻るような気がする。傷跡が少しずつでも回復しているという事は、痛み・痒みもまだ改善しているということだろうか。

平成24年12月13日(238日目)

 大分寒くなってきた。寒いと朝起きた時等まだ痛みを感じる。痛みの強さは最初の痛みと比べると10〜20%程度である。その痛みは、ある時は背中がキリキリであったり、ある時は腋の下がむずむず痒かったり、ある時は胸が火傷のようにヒリヒリしたりと、それこそ何でも有りの痛み・痒みである。

暖かくしたり、体操をしたたりすると消失するし、長くは続かないと思っているので余り苦にはならない。

 夏のころは下着が肌に触れると痛みが少なかったので殆ど裸でいたが、今くらいの気温になると裸でいることは出来ないので、下着とシャツを着た状態で日常過ごしている。そうするとやはり下着が肌に触れて何となく焼けた痛みのようなものを感じる。思い切って裸になってしまうとほっと解放された気分となり、痛み痒みもなくなってしまう。

 毎朝、家の中で天風体操をしているが、その時裸で出来るよう、室内の温度を20℃以上にするようにしている。そのため今年は室温アップ対策として外気に接するガラスに全て断熱フィルムを張り付けた。それと、寝室の窓を2重カーテンとした。このような対策をしたので朝の居間の室温は今のところ19℃を確保している。断熱の効果は大分出来ているようで、帯状疱疹のお陰で今年の冬の暖房代の減少が楽しみになった。

平成24年12月17日(242日目)

 20回目の神経ブロック注射に国立のKクリニックに行く。前回(19回目の注射)のときK医師に「次回は卒業という事にしましょう」と言われていたので今回が最後と思って家を出る。

 

 Kクリニックでいつものように処置室から呼ばれて、看護師に「その後どうですか」と聞かれる。私は特に問題もなく前回と同じですと言う意味で、「前と同じです。寒いと少し痛む時があります。1か0.5くらいの感じです」と答えるとそれをメモに書きつけて医師に渡している。

 

 その後、K医師がベッドサイドに来て肋間神経ブロックをしながら「○○さんは今回で卒業と思っていましたけどねー。まだ残っていますか」という。一瞬これはまずい、看護師さんに私が言ったことが間違って伝えれていると思う。あわてて、「いつもはもう痛みもないのですが、朝、寒い時などは少しまだ違和感を感じる時があります。それも1くらいですが」と答える。

 

 K医師「パーフェクトではないという事ですね。それでも最初よりはずいぶん良くなっているでしょう」

 私「それはもう全然。最初は夜眠れなかったですからね」

 

そのまま医師は立ち去る。ひょっとして今回が卒業という事にならないのかなと不安になる。

ベッドで15分間くらい安静にした後、看護師さんが来て

「次回は5週間後の1月21日です」と言う。やっぱりそうなったか。

 

私「今日が卒業と思っていたのですが、駄目ですか」

看護師「そうですね。次回は卒業と思いますが」

という事で今年中の決着とは行かなかった。

 

それにしても今後5週間、神経ブロック注射もせず、薬も飲まずにただ時間だけ過ぎて様子を見るとはどういう事であろうか。ぶり返す可能性があるので様子を見るという事なのだろうか。

 

 

 

神奈川県立あいかわ公園に行きました

$
0
0

H25.1.4

天気がよかったので城山湖までドライブするつもりで出かけましたが、途中で気が変わり神奈川県立あいかわ公園に来てしまいました。

デジカメを忘れたので携帯の写真です。

大きな駐車場があります。今日は無料でしたが、混雑する日は400円だそうです。

車の中で、家から持ってきたおにぎりと途中で買った丹沢あんぱんの昼食を食べました。

宮ケ瀬ダム横の広大な敷地の公園で全部廻るのは一日では足りないくらいです。

長い滑り台、ネット付きの木登り、スライダー等の子供の遊具が沢山あります。スライダーだけは3歳以上ですが他の遊具は6歳以上12歳までと書いてありました。でも、大人に抱かれた6歳以下と思われる子供も沢山いました。

少し上に登り公道の下のトンネルをくぐるとアリ地獄のようなところに出ました。

ネット付きの木登り装置です。小さい子供が一生懸命に登っていました。

巨大な宮ケ瀬ダムです。

下の方に大きなトランポリンのようなものが2,3個あります。

近づいてみると沢山の子供たちが楽しそうに飛び跳ねています。

今度、孫を連れてこようかな。

今日は寒いせいかそんなに多くの人はいませんでしたが、気候の良い時は多くの人で賑わうのでしょう。

 

 


耳で聞いて理解できる遺教経和訓

$
0
0

日本では法事などでお寺に行っても、お坊さんが唱えるお経の意味が全く解らないとよく言われます。そんな中で、もともとは漢文の経典であるものを漢文書き下し和文にしたお経は比較的理解がしやすいと思われます。それでも、漢文の経典で使われている漢字が通常の日本語では使われていないものも多く、なかなか容易に理解ができるとまでは言えません。

そこで、前に紹介した漢文書き下し和文の遺教経を取り上げ、この経典で使われている難解な漢字を意味が変わらない事に注意しながら、日常的に使われている日本語に変換し、耳で聞いただけで理解出来るような経文に編纂してみました。

 この経の登場人物は3人(経の作者、釈尊、アヌルッダ)がいますので、誰の言葉か分かりやすいように文頭の(橙字)内に明示しています。
尚、その他の( )や[青字]も私が注釈的に入れたもので、原文にはありません。

遺教経
                       (経の作者の解説文)

 釈迦牟尼仏初めに法輪を転じてコーンダンニャを度し最後の説法にシュバッダラを度したもう。
まさに度すべき所の者は皆すでに度し終わりて、沙羅双樹の間に於いて、まさに涅槃に入りたまわんとす。 この時、中夜寂然として音無し。諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。

                        (釈尊の言葉)
[戒律]
汝等(なんだち)比丘(びく)、我が滅後に於いてまさに戒律を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。
まさに知るべし、此れは即ち是れ汝だちが大師なり。若し我れ世に住するとも此れに異なること無けん。
浄戒をたもたん者は、商売・貿易し、田宅を構え、使用人・奴隷・家畜を保持することを得ざれ。

一切の種子・穀物及び諸の財宝、皆まさに火煙を避けるが如く遠離すべし。
草木を伐採し、土を耕し、地を掘り、薬を調合し、吉凶を占い、星の動きを観察し、月の満ち欠けを推量し、暦を計算することを得ざれ。皆応ぜざる所なり。
身を節し時に食して、清浄に自活せよ。
世事に参与し、指令を通知し、呪術し仙薬し、好みを貴人に結び親交慢心することを得ざれ。皆、まさになすべからず。まさに自ら端心正念して度を求むべし。

欠点を隠し、異を顕し衆を惑わすことを得ざれ。
四供養に於いて量を知り足ることをしるべし。趣かに供事を得てまさに蓄積すべからず。

これ即ち略して持戒の相を説く。戒は是れ正順解脱の本なり。故に戒律と名づく。此の戒に依因すれば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。 是の故に比丘、当に浄戒を保ちて毀欠せしめること勿るべし。
もし人、能く浄戒を保てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳、皆生じることを得ず。
是れを以てまさに知るべし。戒は第一安穏功徳の住所たることを。

[五根、五欲]
汝等比丘、すでに能く戒に住す。まさに五根を制すべし。放逸にして五欲に入らしむること勿れ。
例えば牛飼いの人、杖を執って之を牛に視せしめて、奔放にして人の田地を犯さしめざるが如し。
もし五根をほしいままにすれば、唯五欲のまさに際限無くして制すべからざるのみにあらず、
亦、悪馬の轡(くつわずら)を以て制せざれば、まさに人を牽(ひ)きて深孔に墜とさんとするが如し。
強盗の被害を被る如きは苦一世に止まる。五根の賊は禍(わざわい)累世に及ぶ。害たること甚だ重し。慎まずんばあるべからず。
是の故に智者は制して而して随わず。是を持すること賊の如くにして、奔放ならしめざれ。
たとえ之をほしいままにするとも、皆また久しからずして其の磨滅を見ん。
此の五根は心を其の主と為す。是の故に汝等まさに好く心を制すべし。
心の畏るべきこと毒蛇・悪獣・怨賊・大火よりも甚だし。甚大なること未だ喩えとするに足らず。           
例えば、人あって手に蜜壺を執って、動転狂乱して、但だ蜜のみを観て深孔を見ざるが如し。
又、狂象の鉤なく猿の樹を得て動転狂奔し、禁制すべきこと難きが如し。
まさにすみやかに之をとりひしいて放逸せしむること無かるべし。此の心をほしいままにすれば、人の善事を失う。 之を一処に制すれば、事として辨ぜずということ無し。是の故に比丘、まさに勤めて精進して其の心を折伏すべし。

[飲食]
汝等比丘、諸の飲食を受けては当に薬を服するが如くすべし。好きに於いても、悪きに於いても、増減を生ずる勿れ。
わずかに身を支えることを得て、以て飢渇を除け。蜂の花を採るに、但だ其の味わいのみを取って色香を損ぜざるが如し 。
比丘も亦しかなり。人の供養を受けてわずかに自ら苦悩を除け。多くを求めて、其の善心を壊することを得ること無かれ。
例えば智者の、牛力の堪うる所の多少を推量して、分に過ごして以てその力を尽くさしめざるが如し。

[惰眠]
汝等比丘、昼は則ち熱心に善法を修習(しゅじゅう)して時を失うこと無かれ。初夜にも後夜にも亦、廃すること有ること勿れ。
中夜に誦経して以て自ら消息せよ。惰眠の因縁を以て一生を空しく過ごして所得無からしむること無かれ。
まさに無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。惰眠すること勿れ。諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すこと、怨家よりも甚だし。いずくんぞ惰眠して自らを覚醒せざるべき。
煩悩の毒蛇、睡って汝が心に在り。例えば黒蛇の、汝が室に在って眠るが如し。まさに持戒の鉤を以て早く之を除去すべし。 睡蛇既に出(いで)なば即ち安眠すべし。出でざるに而も眠れるはこれ恥じなき人なり。

[恥じる心]
恥じる心は、諸の荘厳に於いて最も第一なりとす。恥じる心は鉄鉤の如く能く人の非法を制す。是の故に比丘、常にまさに恥じる心をもつべし。しばらくも捨つること無かれ。もし恥じる心を離るれば、則ち諸の功徳を失す。恥じある人は、則ち善法有り。もし恥じなき者は、諸の禽獣と相異なること無し。

                   
[怒り]
汝等比丘、若し人有って節ごとに切断するとも、まさに自ら心を摂めて怒りを生ぜしむること無かるべし。
亦まさに口を護るべし。悪言を出すこと勿れ。若し怒りの心をほしいままにすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。
忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、すなわち名づけて有力の大人と為すべし。
もしそれ罵倒の声を歓喜し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名づけず。所以(ゆえん)はいかんとなれば、怒りの害は、即ち諸の善法を破り、好名聞を壊す。今世後世の人、見んことを願わず。
まさに知るべし、怒りの心は猛火よりも甚だし。常にまさに防護して入ること得せしむること無かるべし。
功徳をかすむるの賊は、怒りの心に過ぎたるは無し。白衣受欲非行道の人、法として自ら制すること無きすら、怒りなお恕むべし。出家行道無欲の人にして、而も怒りの心を懐(いだ)けるは甚だ不可なり。
例えば清冷なる雲の中に雷鳴を轟かすは所応に非ざるが如し。 

[驕慢]                                                                     汝等比丘、まさに自ら頭を剃るべし。既に装飾を捨て、壊色の衣を着し、応量器を保持して、乞を以て自活す。
自見かくの如し。若し驕慢起こらば、まさに速く之を滅すべし。驕慢を増長するはなお世俗白衣の宜しき所に非ず。
何に況や出家入道の人、解脱の為の故に自ら其の心をくだして而も乞を行ずるをや。

[へつらい]
汝等比丘、へつらいの心は道と相違す。この故に宜しくまさに其の心をまごころを持ってなすべし。

まさに知るべし。へつらいはただ欺瞞なることを。入道の人は則ち是の処(ことわり無し。
是の故に汝等、宜しくまさに欺瞞なき正しき心を以って本と為すべし。

                                 [以下、1小欲から8不戯論までが八大人覚]
1「小欲」                                                                    汝等比丘、まさに知るべし。多欲の人は利を求めること多きが故に苦悩また多し。小欲の人は無求無欲なれば則ちこの患い無し。
ただ小欲すら尚まさに修習すべし。いかに況や小欲の能く諸の功徳を生じるをや。

少欲の人は則ちへつらいの心を以て人の意を求むること無し。また諸根に束縛されず。
少欲を行ずる者は、心則ち坦然として恐るる所無し。事に觸れて餘り有り、常に足らざること無し。
少欲ある者は則ち涅槃有り。これを少欲と名づく。

2「知足」
汝等比丘、もし諸の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。知足の法は則ち是、富楽安穏の処なり。
知足の人は地上に臥すと雖も、猶お安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も、またこころに称(かな)わず。
不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富めり。
不知足の者は常に五欲に牽(ひ)かれて、知足の者の憐憫する所と為る。是を知足と名づく。

3「遠離」
汝等比丘、もし寂静無畏の安楽を欲せば、まさに雑踏を離れて一人閑居(かんきょ)すべし。
静処の人は、帝釈・諸天ともに敬重する所なり。是の故にまさに己衆他衆を捨て、空閑に独処して滅苦の本を思うべし。
もし衆を願う者は、則ち衆悩を受く。例えば大樹の衆鳥これに集まれば、則ち枯折の患い有るが如し。
世間の束縛は衆苦に没す。例えば老象の泥に溺れ、自ら出でること能わざるが如し。是を遠離と名づく。

4「精進」
汝等比丘、もし勤めて精進すれば、則ち事として難き者なし。是の故に汝等、まさに勤めて精進すべし。
例えば小水の常に流れて、則ち能く石を穿つが如し。もし行者の心しばしば萎えなば、例えば火をおこすに未だ熱からずして而も止めば、火を得んと欲すと雖も火を得べきこと難きが如し。是を精進と名づく。

5「不忘念」
汝等比丘、善知識を求め、善護助を求めること不忘念にしくはなし。もし不忘念ある者は、諸の煩悩の賊則ち入ること能わず。
是の故に汝等、常にまさに念を摂(おさ)めて心に在(お)くべし。もし念を失する者は、則ち諸の功徳を失す。
もし念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も為に害せられず。例えば鎧を着て陣に入れば、則ち畏れる所無きが如し。是を不忘念と名づく。

6「定」
汝等比丘、もし心を摂(おさ)むる者は、心則ち定に在り。心定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。
是の故に汝等、常に当に精進して諸の定を修習すべし。もし定を得る者は、心則ち乱れず。
例えば水を惜めるの家の、善く溜池を治するが如し。行者も亦た爾なり。智慧の水の為の故に、善く禅定を修して漏失せざらしむ。是を名づけて定と為す。

7「知恵」
汝等比丘、もし智慧有れば則ち貪著無し。常に自ら省察して失あらしめざれ。
是れ則ち我が法中に於いて能く解脱を得。もし、しからざる者は既に道人に非ず。また白衣に非ず。
名づくる所なし。実智慧の者は、則ち是れ老病死の海を度る堅牢の船なり。亦た是れ無明黒闇の大明燈なり。一切の病苦の良薬なり。煩悩の樹を伐(き)るの利斧なり。是の故に汝等、当に聞思修の智慧を以て、自ら益を増すべし。
若し人智慧の照有れば、天眼無きと雖も、而も是れ明見の人なり。是れを智慧となす。

8「不戯論(ふけろん)」
汝等比丘、もし種種の戯論は、其の心則ち乱る。また出家すと雖も、猶お未だ得脱せず。
是の故に比丘、まさにすみやかに乱心戯論を捨離すべし。もし汝、寂滅の楽を得んと欲せば、
ただまさに善く戯論の患(とが)を滅すべし。是れを不戯論と名づく。

                              [以上、1小欲から8不戯論までが八大人覚]
(不放逸)
汝等比丘、諸の功徳に於いて、常にまさに一心に諸の放逸を捨つること、怨賊を離するが如くすべし。
大悲世尊、欲する所の利益、皆以て究竟す。汝等ただまさに勤めて之を行ずべし。
もしは山岳、もしは幽谷に在っても、もしは樹下、閑処、静室に在っても、所受の法を念じて忘失せしむること勿れ。常に当に自ら勉めて精進して之を修すべし。
為すこと無くして、空しくして死せば、後に憂い悔いることを致さん。我は、良医の病を知って薬を説くが如し。服すと服せざるとは医の咎に非ず 。又、善く導くものの、人を善導に導くが如し。
之を聞いて行かざるは、導くものの過に非ず。

(四諦)
汝等、もし苦等の四諦に於いて疑う所ある者は、はやく之を問うべし。疑を懐いて決を求めざることを得ること勿れ。

                        (経の作者の解説文)
爾の時、世尊是の如く三たび唱えたもうに、人、問いたてまつる者無し。
所以はいかんとなれば、衆疑い無きが故に。時に、アヌルッダ 、衆の心を観察して佛に申してもうさく。

                         (アヌルッダの言葉)
世尊よ、月は熱からしむべく、日は冷ややかならしむべくとも、佛の説きたもう四諦は異ならしむべからず。
佛の説きたもう苦諦は実に是れ苦なり。楽ならしむべからず。集は真に是れ因なり。更に異因なし。
苦もし滅すれば、即ち是れ因滅す。因滅するが故に果も滅す。滅苦の道、実に是れ真の道なり。更に余道なし。
世尊よ、是の諸の比丘、四諦の中に於いて決定して疑い無し。

此の衆中に於いて、所作未だ辨ぜざる者は、佛の滅度を見て当に悲感有るべし。

もし初めて法に入る者有れば、佛の所説を聞いて即ち皆得度す。例えば夜、電光を見て即ち道を見ることを得るが如し。

もし所作既に辨じ、既に苦海を渡る者は、但だ是の念を作すべし。世尊の滅度、ひとえに何ぞ疾(すみやか)なるや。

                        (経の作者の解説文)
アヌルッダ、是の語を説いて衆中皆悉く四聖諦の義を了達すと雖も、世尊、此の諸々の大衆をして皆堅固なることを得さしめんと欲して、大悲心を以てまた衆の為に説きたもう。

                          (釈尊の言葉)
汝等比丘、憂悩を懐くこと勿れ。もし我、世に住すること一劫するとも、会うものは亦たまさに滅すべし。
会って而も離れざること、ついに得べからず。自利利他の法、皆具足す。もし我久しく住するとも更に所益無けん。
まさに度すべき者は、もしは天上・人間皆悉く既に度す。其の未だ度せざる者には、皆、亦た既に得度の因縁を作す。
自今已後、我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、則ち是れ如来の法身常に在(いま)して滅せざるなり。
是の故に当に知るべし。世は皆無常なり、会うものは必ず離るることあり。憂悩を懐くこと勿れ。世相是(かく)の如し。
まさに勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明かりを以て無智の闇を滅すべし。
世は、実に脆弱なり。堅牢なる者無し。我今滅を得ること、悪病を除くが如し。此れは是、まさに捨つべき罪悪の物なり。仮に名づけて身と為す。生老病死の大海に没在せり。
何ぞ智者はこれを除滅することを得ること、怨賊を殺すが如くにして、而も歓喜せざること有らんや。
汝等比丘、常にまさに一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法は皆な是れ敗壊不安の相なり。
汝等、且(しばら)く止みね。復たものいうことを得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す。我、滅度せんと欲す。
是れ我が最後の教誨(きょうげ)する所なり。

遺教経終わり

 





杉並区善福寺公園に行きました

$
0
0

H25.2.21

所用で上石神井に行った帰り、吉祥寺駅まで歩くことにしました。直線で約4kmあります。

途中、善福寺公園があり立ち寄ってみました。大きな池があり、上の池と下の池に分かれています。

この池は湧水があり、東京都水道局杉並浄水所の水源になっているそうです。

周囲には遊歩道があり、樹木も沢山あり東京100景の一つになっています。

かも、バンなどの水鳥が沢山遊んでいました。

パン屑を投げると沢山寄ってきました。

湧水の碑がありました。

近くに市杵島(いちきしま)神社があります。

この神社は、昔、源頼朝が奥州征伐の途中この地に宿陣し、飲み水を求めて弓筈で各所に穴をあけたが水の出が遅く、弁財天に祈り、やっと水を得たという故事(当地の旧名「遅の井」の由来)にならって、建久8年(1197年)に江ノ島弁財天を勧請したのが当社の始まりであると言うことです。

黄色い梅の花(蠟梅)が咲き始めて、いい香りがしていました。

下の池の方にも廻ってみました。

善福寺公園を出るとすぐに東京女子大がありました。

この先吉祥寺までもう少しです。直線では4kmくらいですが、散策したので約10000歩のウオーキングになりました。

炭酸ガス風呂

$
0
0

炭酸ガス温泉とか炭酸ガス風呂が健康にいいらしいです。

炭酸ガスを含んだお湯に入ると皮膚から炭酸ガスが吸収されそれが血管の中に入り血液中の炭酸ガス濃度が上がります。

そうすると体は血液中の酸素が少なくなったと感じ、血管を拡げて血液の量を増やそうとします。このような作用により血管が拡がり動脈硬化等の予防に効果があるということです。

エビデンスがあるのかどうか知りませんが、医学的には認められているらしいです。

そのようなことから、炭酸ガス温泉とかスーパー銭湯の炭酸ガス風呂とかが人気です。

又、炭酸ガス入浴剤なども市販されています。

そこで私もしばらく炭酸ガスを発生する市販の入浴剤を使っていたのですが、どの入浴剤も炭酸ガスは発生するのですが、それと同時にラベンダーの香りとか、柚子の香りとか、森の香りとかの匂いが強烈にします。

又、お湯にそれなりの色が付いたり、濁ったりしてしまいます。

これらの匂いや色に癒とかを感じる人はこれでいいのでしょうが、残り湯を洗濯に使う人とか、無色無臭、透明のお湯を好む人には今一つです。

そこで、重曹とクエン酸を使い炭酸ガス風呂を自宅で作る方法を考えました。

原理

3NaHCO3(重曹)+C6H8O7(クエン酸)→Na3(C3H5(COO)3)(クエン酸三ナトリウム)+3H2O+3CO2↑

分子量;重曹84  クエン酸192  クエン酸三ナトリウム258  水18  炭酸ガス44

従って重曹3×84=252gに対してクエン酸192gを加えると炭酸ガス3×44=132gが発生することになります。

(テスト1);

重曹30gにクエン酸15g、水少しを混ぜ半固形化し型に入れて固める。

クエン酸の量が理論値より少し少ないのは重曹と反応後、クエン酸が残ると風呂釜に悪影響がある可能性が感じられるから(実際には殆ど心配ないと思うが)

テスト1の結果

・重曹とクエン酸を型に入れて固まらせるのが面倒(毎回やっていられない)

・型で固まった重曹とクエン酸の入浴剤を風呂に入れると短時間でガスがいっぺんに出てしまう。

(テスト2);

重曹とクエン酸を固めるのではなく、粉のまま袋に入れて、その袋を風呂に入れる。重曹、クエン酸の量はテスト1と同じ。

テスト2の結果;

・袋の抵抗があるのでテスト1よりはゆっくり発泡するがそれでも袋の口をしっかり押さえておかないと爆発的に

炭酸ガスが出て短時間で終了する。

・発泡終了後袋の中にクエン酸三ナトリウムが残る。又お湯に逃げ出したクエン酸三ナトリウムのためにお湯が濁る。

そこで

(テスト3);

小さなタッパーの蓋に直径1mm程度の穴を錐で6,7個開けたものをつくる。

写真のタッパーは100円ショップで3個105円で売っています。

この中にテスト1と同じく重曹30g、クエン酸15gをいれてよく混ぜる。混ぜただけでは水がないので反応は起こらない。

これを風呂の中に入れる。風呂の中に入れるとタッパーは浮力で浮き上がるので重りを付けるか、手で押さえておく必要がある。下の写真はタッパーの下に重りを入れている。

テスト3の結果;                              

適量の炭酸ガスの泡が継続的にタッパーの蓋の穴から噴き出す。これが約30分ほど持続する。途中で炭酸ガスの出方が弱くなったら、タッパーをゆすったり傾けたりすると再度吹き出しが強くなる。

泡の発生が終了した後タッパーを取り出してみるとタッパーの底には透明の液体と白い固形物がある。

透明の液体は蓋の穴から入った風呂のお湯および重曹、クエン酸の反応水、白い固形物は重曹の反応残りと反応生成物のクエン酸三ナトリウムと思われる。

炭酸ガスの噴き出しの強さは蓋に開けた穴の大きさ、数に大いに関係している。30分程度の持続時間を狙うのであればこのテスト3程度の穴の直径、数が最適と思われる。

終了後の風呂のお湯の濁りおよび匂いは全くない。湯底のぬるぬるもなし。

残り湯を洗濯に使うことは十分可能。

重曹とクエン酸の反応の炭酸ガス以外の生成物がお湯のなかに紛れ込むことは全くないと思われので、風呂釜、配管等の腐食の可能性はない。

尚重曹30g、クエン酸15gでは重曹の反応残りが少しあるのでクエン酸を少し増やしてもよいように思う。

重曹:クエン酸=2:1.2位が丁度よいように思える。

使用した重曹とクエン酸は以下。

           重曹2kg、400円                 クエン酸2kg 800円(Mr.Maxにて)

入浴剤一回分の費用;30g×400円/2000g+15g×800円/2000g=12円

市販の入浴剤より相当安くなります。

 

 

絹の道を歩く

$
0
0

H25.3.4

所用で八王子に出た帰りに絹の道を歩いてみました。

新しくできた八王子駅南口を出発しました。

駅舎と同じ時期に建設されたサザンスカイタワー八王子です。多摩地域では最高層で上階はマンション、下の階は市役所、ホール、スーパー等の複合商業施設になっています。

絹の道は八王子市八日町がスタートになっていますが、街中は八王子駅から峠の最高峰である大塚山公園を目指して最短距離を歩きます。

途中、片倉駅があります。

ちょっと休憩のできる藤谷戸公園

ここからもサザンスカイタワー八王子が見えています。

八王子バイパスの横の広い歩行者専用道を歩きます。

大塚山公園の登り口の階段に到着です。この階段は150段あります。

下界が見渡せます。

階段の上には絹の道の道標があります。

少しコースを外れますが、八王子バイパスの上に通ずる歩行者道路からの眺め(道了山跨道橋より)

大塚山公園の登り口には絹の道の石碑がたてられています。

石碑の横の大塚山公園に登る階段

大塚山公園には道了堂跡の碑があります。

絹の道。昔ながらの面影があります。

車道に出ると絹の道資料館があるのですが今日(月曜日)は休館日で入ることができませんでした。

柚木街道を横切って車道を登ると茅葺屋根の小泉家屋敷があります。

小泉家に立ち寄ると、小泉家の子孫で16代目というおばさんが縁側で訳あり温泉まんじゅうを販売していました。

季節によってはタケノコとか干し柿も販売しているそうです。

少し道を登ると板木の杜緑地の案内図があります。

これから先は住宅街にはいります。橋の上には絹も道と書いたはめ込みがありました。

東京都水道局の鑓水給水塔が見えます。この付近では住宅建設が沢山なされています。

絹の道(昔は浜街道を言われた)はこの給水塔の横を通って町田街道に出て横浜まで続いています。

三浦半島ドライブ

$
0
0

H25.3.6

天気がよく暖かったので三浦半島にドライブに行きました。

国道16号線から保土ヶ谷バイパスに入り、それから横浜横須賀道路に出て衣笠ICで降ります。

すぐに別料金の三浦縦貫道路に乗り、国道134号線にでました。

それから少し南下して荒崎の海岸に行きました。

ここは、神奈川の景勝50選に入っている景勝地で海岸の絶壁が素晴らしいです。

富士山も見えました。

ここで持って行ったおにぎりの昼食を食べました。↓

トンビが沢山飛んでいて私たちの食べ物を狙っています。桜の木の下に座って背後から襲われるのを避けつつ食べました。

荒々しい波と岩肌の景色が素晴らしい。

少し山の方を歩くと椿の花が沢山咲いています。

椿の花は三浦半島の気候に合っているのかいたるところに咲いています。

私の小さい頃住んでいた横須賀市汐入町の山の中でも沢山見かけた事を覚えていて懐かしいです。

ところで、椿の花とサザンカの花の違いは分かりますか。

椿の花↓

サザンカの花↓

 答えは

 (1) サザンカは、秋〜冬にかけて花を咲かせる。ツバキは、初春に花を咲かせる。
 (2) サザンカは、花びらがばらばらになって散る。ツバキの花は花ごと落ちる。
 (3) サザンカの葉柄や若枝などには毛が生えているが、ツバキには毛が生えていない。
 (4) サザンカの葉にはぎざぎざが目立つ。ツバキの葉にはぎざぎざがない。

ということですが、うちの生物の先生は椿の花は雄しべや花弁の下部が合成して筒状になるので見分けられると言います。

上の2枚の写真ではまさにその通りですね。

その後、三浦半島の先端の三崎の方までドライブしました。

途中、一面の畑で三浦大根を出荷作業中のお百姓さんに巨大な三浦大根を分けてもらいました。

1本100円でよいと言われ、3本お願いすると1本おまけに付けてくれました。

町では1本300円以上するとカミサンが言っていました。

 

Viewing all 63 articles
Browse latest View live




Latest Images